お笑いとデザイン

私は、お笑いが好きだ。
小さい頃から寄席に行くのが好きだった。そう、私は根っからの関西人。物心ついた頃からお笑い文化に馴染み、その笑いはもはや体の芯まで染み付いている。
ちなみに、マルショウデザインの「ショウ」には、お笑いの「笑」という意味も込めている。だからというわけではないが、お笑い芸人を見る目は、ちょっとプロ並みに肥えている――と、自分では思っている。
そんな私が先日、浅草東洋館の「漫才大行進」にお邪魔した。
なんと4時間半。20組もの芸人さんたちが次々と登場する、なかなかの長丁場である。
それぞれに芸風があり、それぞれに味がある。大いに笑わせてもらった。
……と、ここから偉そうにお笑いを評論するのは少々憚られるのだが、今回、ひとつ感じたことがある。
お笑いの「芸」って、デザインにちょっと似ている。
どちらも、お客さんを楽しませ、喜ばせたら勝ち。逆に、響かなければ負け。
実にシンプルだ。
では、その「勝ち」と「負け」を分けるものは何なのか。
私は、「相手が喜ぶだろうな」と想像して、それを形にして出力できるかどうかではないかと思っている。
お笑いなら、「ここでこう言えば、お客さんは笑うだろう」と考える。デザインなら、「こう見せれば、この人はきっと伝わる、嬉しいと思う」と考える。
そのためには、一度、客席に降りてみる必要がある。
「顧客目線に立って考える」。
よく使われる言葉だし、少々使い古された感もある。
でも、私はもう一歩先まで降りるようにしている。
顧客目線ではなく、顧客になりきる。
自分がその人だったら、どう感じるか。何を見たら嬉しいのか。何を見たら「なるほど」と思うのか。そして、何を見たら「……なんか違うな」と感じるのか。
そこまで入り込んで考えてみる。
おそらく、爆笑をかっさらう芸人さんたちも、似たようなことをやっているのではないだろうか。
もちろん、すべての芸人さんがそう見えるわけではない。
なかには、どうしても「自分が面白いと思うこと」を前面に出してしまい、お客さんとの距離が縮まらない芸人さんもいる。
申し訳ないけれど、クスリとも笑えない。
一方で、天才的に面白い芸人さんは、そんなことをいちいち考えているようには見えない。
客席の空気を読み、間を取り、言葉を選び、絶妙なタイミングで笑いを生み出す。
おそらく、意識せずとも「お客さんの側」に立てているのだろう。
それは、ある意味で才能なのかもしれない。
では、凡人はどうするか。
やっぱり、努力するしかない。
お客さんになりきって考える。自分の「我」を一度横に置く。そして、相手がどう感じるかを想像しながら、何度も出力してみる。
4時間半、20組の芸人さんたちを見ながら、そんなことを考えていた。
笑いを見に行ったはずなのに、最後に教えられたのはデザインのこと。
浅草東洋館。
なかなか、奥の深い4時間半だった。



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